今年は学び大きい一年でした。
僕の「人生のコンセプト」が書き換わった一年でもありました。
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僕が22歳の時、同い年のとあるプロの写真家(女性)と出会います。
彼女は天才でした。
僕なんかが到底及びもつかない感性でシャッターを切っていく。
この世の美しさはもちろん、人の醜さ、愚かさ、汚さ、そして人を取り巻くこの世界を僕らが目にする光に込めて写真を創り上げる、そんな人でした。
彼女は写真だけでなく、音楽においても、絵画においても、文学においても、その作り手が真実を見ようとしているか、自己都合な解釈で作品を作っていないか、本当にそれがよいと思って表現しているのか、自分にうそをついてないかを常に問いかけていました。
僕は彼女から多大な影響を受けました。
ありがたいことに、僕にもその感性の多少宿すことができました。
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あれから15年以上がたちました。
これまで多くの人に出会ってきても、多くの出来事に立ち会ってきても、彼女から学んだことは何一つ揺るいでいません。
それが真実であること。
どんなに自分にとって都合が悪いことでも真実を受け止めて生きていくこと。
真実から物事を考え、感じ、表現していくこと。
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今、人にセッションという形で接している時に僕はいつもこのコンセプトで臨んでいます。
「The Real Effect(本当の効果)」。
僕はいつもこの言葉を胸に秘めて物事を見ています。
大切なのは効果をあるものを提供すること。
そのためには何が真実で何がそうでないのかを見極めなければなりません。
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「審美(しんび)」という言葉があります。
これは、
という意味です。
そして、その審美を見極める目のことを「審美眼(しんびがん)」といいます。
僕がその写真家から学んだのはまさに「審美眼」でした。
そして、あの時の経験があるからこそ、真実(ほんとう)を見極め、真実(ほんとう)を伝え、本当に効果があるものを提供しようという、僕の人生のテーマ「The Real Effect」につながったのだと思います。
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そしてあれから15年以上経ち、一人の尊敬する師と出会います。
その方が僕に教えてくれたのは、
「真善美」
でした。
真善美とは、
のこと。
この言葉はもともと哲学の言葉で、カントというドイツの哲学者が生み出した思想から派生して日本に入ってきました。
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今、この「真善美」と向き合うに当たり、「真」と「美」は不十分ながらも僕の中で追い求めていこうという気概があったのだと思います。
ただ、この「善」、つまり「道徳」に関しては完全に片手落ち、もっと言えば関心がないことでした。
「道徳」よりも「真実・学問」や「美・芸術」を重視する。
「真実」や「美」を極めていくには「道徳」は犠牲になっても仕方がない、どこかでそんな想いがあったのだと思います。
なぜなら「道徳」、ひいては人の「心」は「真実」を曇らせ、「美」の本質をゆがめてしまうからです。
人の「心」は勝手な解釈を生み出します。
客観的な視点が抜け落ちる。
自分勝手に物事を理解する。
十分な検証もないまま好き嫌いだけで済ませようとしてしまう。
相手の気持ちを思いやることで、真実でないことをさも当たり前のように伝えてしまう。
それほど脆弱な「心」にどれだけの価値があるのか?
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最近になって、この人の「心」や「道徳」の話を思い浮かべるときに、僕の祖父のことを考えます。
僕の祖父は戦時中、九州の炭鉱堀でした。
戦後、GHQが来る前に隠していた爆弾を爆発させた事故に巻き込まれ、亡くなった親戚を自分の墓に入れてあげました。
近所の人が家を買いたいから持っている山を買ってほしい、と言われ、祖父は買ってあげました。
僕のためにブロック塀を積み上げる仕事をして、お年玉をくれたりプレゼントを買ってくれました。
50代のころ急に耳が不自由になった祖母。
そんな祖母、自分の妻に対する想いを「僕が彼女の耳になります」という言葉で周りの人に話していたそうです。
晩年、入院していた病院で炭鉱時代の話をすると同じ患者さんはもちろん、看護師さんまで集まってきていたそうです。
きっと、みんなを楽しませたい、そんな気持ちだったのだと思います。
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身近な人が「真善美」の「善」を実践していました。
そのことに気付いたのは、祖父が亡くなってから父に話を聞いたここ数年のことです。
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僕の中で、祖父の人生と「真善美」が結びつきました。
「The Real Effect」から「真善美」へ。
これが僕の小さいけれど人生を変えるほどの大きな学びでした。
祖父の「心」が誰かの人生を支えていた。
愚かな僕はようやくこの真実にたどり着くことができました。
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来年、僕は新しい一歩を歩む予定です。
その前にこの真実に気づくことができて本当に良かったと思っています。
「道徳・心」を養っていく。
祖父が、そして祖父が支えていた祖母が喜ぶような人生を。
それが僕の「真善美」にほかなりません。
僕の「人生のコンセプト」が書き換わった一年でもありました。
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僕が22歳の時、同い年のとあるプロの写真家(女性)と出会います。
彼女は天才でした。
僕なんかが到底及びもつかない感性でシャッターを切っていく。
この世の美しさはもちろん、人の醜さ、愚かさ、汚さ、そして人を取り巻くこの世界を僕らが目にする光に込めて写真を創り上げる、そんな人でした。
彼女は写真だけでなく、音楽においても、絵画においても、文学においても、その作り手が真実を見ようとしているか、自己都合な解釈で作品を作っていないか、本当にそれがよいと思って表現しているのか、自分にうそをついてないかを常に問いかけていました。
僕は彼女から多大な影響を受けました。
ありがたいことに、僕にもその感性の多少宿すことができました。
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あれから15年以上がたちました。
これまで多くの人に出会ってきても、多くの出来事に立ち会ってきても、彼女から学んだことは何一つ揺るいでいません。
それが真実であること。
どんなに自分にとって都合が悪いことでも真実を受け止めて生きていくこと。
真実から物事を考え、感じ、表現していくこと。
---
今、人にセッションという形で接している時に僕はいつもこのコンセプトで臨んでいます。
「The Real Effect(本当の効果)」。
僕はいつもこの言葉を胸に秘めて物事を見ています。
大切なのは効果をあるものを提供すること。
そのためには何が真実で何がそうでないのかを見極めなければなりません。
---
「審美(しんび)」という言葉があります。
これは、
自然や美術などのもつ本当の美しさを的確に見極めること。また、美の本質・現象を研究すること。
という意味です。
そして、その審美を見極める目のことを「審美眼(しんびがん)」といいます。
僕がその写真家から学んだのはまさに「審美眼」でした。
そして、あの時の経験があるからこそ、真実(ほんとう)を見極め、真実(ほんとう)を伝え、本当に効果があるものを提供しようという、僕の人生のテーマ「The Real Effect」につながったのだと思います。
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そしてあれから15年以上経ち、一人の尊敬する師と出会います。
その方が僕に教えてくれたのは、
「真善美」
でした。
真善美とは、
人間の理想である、真と善と美。それぞれ、学問・道徳・芸術の追求目標といえる、三つの大きな価値概念。
のこと。
この言葉はもともと哲学の言葉で、カントというドイツの哲学者が生み出した思想から派生して日本に入ってきました。
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今、この「真善美」と向き合うに当たり、「真」と「美」は不十分ながらも僕の中で追い求めていこうという気概があったのだと思います。
ただ、この「善」、つまり「道徳」に関しては完全に片手落ち、もっと言えば関心がないことでした。
「道徳」よりも「真実・学問」や「美・芸術」を重視する。
「真実」や「美」を極めていくには「道徳」は犠牲になっても仕方がない、どこかでそんな想いがあったのだと思います。
なぜなら「道徳」、ひいては人の「心」は「真実」を曇らせ、「美」の本質をゆがめてしまうからです。
人の「心」は勝手な解釈を生み出します。
客観的な視点が抜け落ちる。
自分勝手に物事を理解する。
十分な検証もないまま好き嫌いだけで済ませようとしてしまう。
相手の気持ちを思いやることで、真実でないことをさも当たり前のように伝えてしまう。
それほど脆弱な「心」にどれだけの価値があるのか?
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最近になって、この人の「心」や「道徳」の話を思い浮かべるときに、僕の祖父のことを考えます。
僕の祖父は戦時中、九州の炭鉱堀でした。
戦後、GHQが来る前に隠していた爆弾を爆発させた事故に巻き込まれ、亡くなった親戚を自分の墓に入れてあげました。
近所の人が家を買いたいから持っている山を買ってほしい、と言われ、祖父は買ってあげました。
僕のためにブロック塀を積み上げる仕事をして、お年玉をくれたりプレゼントを買ってくれました。
50代のころ急に耳が不自由になった祖母。
そんな祖母、自分の妻に対する想いを「僕が彼女の耳になります」という言葉で周りの人に話していたそうです。
晩年、入院していた病院で炭鉱時代の話をすると同じ患者さんはもちろん、看護師さんまで集まってきていたそうです。
きっと、みんなを楽しませたい、そんな気持ちだったのだと思います。
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身近な人が「真善美」の「善」を実践していました。
そのことに気付いたのは、祖父が亡くなってから父に話を聞いたここ数年のことです。
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僕の中で、祖父の人生と「真善美」が結びつきました。
「The Real Effect」から「真善美」へ。
これが僕の小さいけれど人生を変えるほどの大きな学びでした。
祖父の「心」が誰かの人生を支えていた。
愚かな僕はようやくこの真実にたどり着くことができました。
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来年、僕は新しい一歩を歩む予定です。
その前にこの真実に気づくことができて本当に良かったと思っています。
「道徳・心」を養っていく。
祖父が、そして祖父が支えていた祖母が喜ぶような人生を。
それが僕の「真善美」にほかなりません。
